ジモンジトウ

ジモンジトウ

Twitterで広がるコミュニティ

皆さん、Twitterは楽しんでいますか?


スマートフォンの普及とともに、今や生活の一部にTwitterがあるといった方も少なくないのでしょうか。


そんなオカザキも、Twitterが人生の一部を作っているといっても過言ではありません。


Twitterの醍醐味は、自由につぶやくことができるということですが、コンテンツというのは時間経過とともにその性質が変わっていくものです。


今やTwitter上で議論が展開されたりするようにもなりました。


そんな変わりゆくTwitterの利用方法の中で、これだけは守らなければいけない、意識しなければいけないと考えるものを2点挙げていきます。


身内でのコミュニケーションとしてのTwitter


Twitterを始める時に大抵一番はじめににフォローするのが、リアルの友達、リア友というのが多いでしょう。


よってツイートする内容も、身内とLINEで行うようなツイートをついついしてしまうこともしばしばあるのではないでしょうか。


しかし、認識している利用範囲は身内であっても、そのツイートやアカウント情報にアクセスできるのは、その身の回りのコミュニティとは比べ物にならないほど大きな括り、地球規模でのフィールドです。


僕自身も、これを強く意識したのはそれほど前のことではありませんが、Twitterの恐ろしいところは、がっつりそのアカウントに粘着して、情報を照らし合わせることで、その人の行動パターンを予測できてしまうところにあります。


ましてや、所属している団体に加えて、会社、学校までプロフィールに記載した上で、問題を起こしてしまうとその記録がインターネットという広い海のなかから完全に削除することはできません。


身内のコミュニケーションとして、かなりプライベートな内容をツイートするのが目的ならば、アカウントに鍵をかけて、そのアカウント情報のみで人物を特定できないような工夫が必要です。


外部とのコミュニケーションとしてのTwitter


Twitterの魅力の1つとして、インターネットという広い海の中から、現実のコミュニティの外にある素敵な文化や、流れを感じることができることにあります。


もちろんこれが楽しいからこそ、私はTwitterをやっているわけなのですが、広い舞台に身を置くということにはある意味その場所で最低限守らなければならないマナー、モラルのようなものが存在するようになります。


これを説明するには、「刑罰の執行力がない公園」をイメージしてみてください。


オブジェを作ったり、歌を歌ったり、演説をしたり、愚痴を言ったり。リンチしたり、殺人を犯したり、


確かに、刑罰がないので、何をしても罰せられることはありません。

 


もちろん明文化されているわけではないので、「そんな決まりがどこに書いてあるんだよ。」と言われてしまえば、そこまでのものですが、これを知っているか否かでは、大きく変わってくるものがあります。


果たして、ネガティブな言動はインターネット広い海においてどのような影響もたらすでしょうか。


広い海としてのTwitterだと、このネガティヴ効果は、会ったこともない人に


「近づき難い人だな、近づかないようにしよう。」


と、コミュニティの拡がりを阻害してしまう恐れがあります。

 

自由とはいえど、


Twitterの使い方は人それぞれといえど、いくら当人が気にしないからとはいえ、気にしていないだけで、外部に与えている印象を改めて見つめ直してみると、思いもよらない事になっていることがあるかもしれませんね。


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