スタンダードという最強装備
たまに中学生、高校生あたりがこんなことを言います。
「俺は普通の人生を歩みたくないんだ。」
なるほど、普通の人生を歩みたくないのか、確かに気持ちとしてはよく分かる話です。
しかし、この学生は何をもって普通と言っているのでしょうか。
彼の言う普通とは、せいぜい中学生、高校生の認識の中での普通でしょうから、恐らくは「サラリーマンになって、ほどほどの生活を送って生きていく」とか、そのくらいのものでしょう。
かと思えば、同じ人が
「実際、普通は〜するだろ!。」
と言ってみたり、つまり「普通」言い換えれば「一般的」は大変便利に使える言葉です。
今回は、「一般的」という言葉が何故無敵なのかについて、深夜の布団の中でちょっと考えたことを記事にしてみました。
ひとまず、ここでは「一般的」のニュアンスを揃えるところから。
2種類の「一般的」
どうでしょう、「一般的」って2種類あると思いませんか?
世間一般の意味合いでの「一般的」
と
本当に普通の意味合いでの「一般的」
前者の「一般的」は、世間で認識されている一般、例としてあげるならば、
「普通は結婚して、マイホームを買うものだろう。」
のような、偏見や決まりきってしまった慣習も含む一般的を指します。
一方後者の「一般的」は、現実により近い一般、例えば、「実際、結婚してマイホーム持たないのが普通」といったような偏見や慣習といったものを一切含まない、その時の情勢に合わせた一般的を指します。
この2種類の「一般的」は、同じ言葉なのに意味合いが大きく異なるものになります。
前者は理想的な「一般的」後者は現実的な「一般的」と言い換えることができます。
だからこそ、二面性をもつ「一般的」の概念は日本人だからこそよく効く装備になります。
多数派耐性の低い日本人だからこそ
何故、「一般的」は武器になるのか。
なにせ、日本人は多数派に弱いため、概念のみの存在である圧倒的多数の「一般的」には弱いという訳です。
記事の導入部でも軽く触れていましたが、
「普通は〜しないだろ。」
と言われてしまうとなんとなく自信がなくなったりする現象、あれです。
ましてや、「一般的」の性質にも2種類あるのなら圧倒的に「一般的」が多数になるわけで、やはり「一般的」は強い...
結局は単純なこと。
長々とここまで、「一般的」を盾に使うとすごく強い。ということを解説してきましたが、正直こんなことはそんなに深いことではありません。
「だって、普通に考えたら分かることだから。」
あっ...「一般的」怖い。